執行猶予の判決をうけ、全てを失い、荷物をたたんで東京の安アパートへと一人向かった彼・・・・。
再就職先には、彼の父親の友人が都心で経営する○○アートギャラリーへ見習いのような形で身を置くことになったそうです。
彼の場合、少年時代から絵心があったのでしょうか、絵画の世界では早世の才を見いだしていたということをききます。しかし、所詮、趣味の世界の話であり、自分自身もさして意識していなかった世界です。
しかし、父親の友人の会社では素晴らしい才覚を示したそうですね。
殆どがデスクワークで、肝心な絵などに触れることなど、罪深い自分にできるわけがない・・・・。
一生懸命、周辺事務に携われる彼の目が、一枚の絵と出逢います。
東北の或る画廊に仕事で出かけ、目にしたものですが、非常に奇妙な絵だったわけです。
「コウモリの死」
その画廊では、そんな類の得体の知れなさをテーマにしたものが多く、彼は一瞬釘付けになります。
早朝の路上、ゴミバケツの側で息絶えている一匹のコウモリの死骸・・・・。そしてアスファルトの向こうには、旅立ちの朝の燭光が黄金色に輝いている・・・・。
それから数年たってですね、ワタシは、このH雄の事件を教えてくれた知人から面白い話しをききます。
東京の大きな画廊に、H雄の描いた絵が展示されているとのことで、それはそれは大変評判がよいものだそうで、現在、彼は絵の先生として第二の人生を歩み出して素晴らしい生き甲斐を求めているということなのです。
スカート下の盗撮、覗き、露出、後を絶たないこの種犯罪・・・・。
教授も弁護士も芸能人も誰もかも・・・。
どうにかならないものか、当時のワタシは活火山のように正義感を爆発させては真剣にそんなことも考えていたわけです。
犯罪の対策には、とりわけ性犯罪においては、科学技術的な対策の他に、なぜ、そのような行為に出てしまったのかという理由を解明し、そこから対策の一環を見いだすことも大切だと思います。
要するに、個々的というよりも多くの犯人たちに共通な理由を見いださんと試みるや色んなことをいう人がいます。フロイトの性倒錯論やら、異性コンプレックス、健全な接触ができなかったこと云々・・・・。みな一面真理はついているとは思いますが・・・・。
しかしですね、このH雄の事例から一つ浮かび上がるものを感じたものです。
露出にしても、スカート下の盗撮にしても、根本にあるのは目なのではないか。
性欲が目に集中してしまっているのではないだろうか。そこにひとつの歪みがあるわけで、いってみれば視覚エネルギーの過剰・・・・・。
心というものの奥底からその原因を解明することばかりにとらわれ、視覚というものをおざなりにしているような気がしたものです。
視覚エネルギーの過剰な部分、これはH雄のように芸術的な部分に昇華することも可能なのではないでしょうか。
絵画や芸術写真に限らず詩作でも脳裏に浮かんだものを表現する作用、そういう点に優劣を競うという場へ彼らを登場させたら・・・。
妖しいものを感じてしまうわけです・・・・。
露出に限らず痴漢やロリータ等色々な性犯罪には本当はやめたくてならない人がたくさんいるわけでして、ダルクの性犯罪版みたいなところもあるわけです。
色んな仮定的解決法を考えることも社会的に有益な話なのかなと思ったりもする今日このころです。